【ガウディ建築】
芸術の街“バルセロナ”を語るうえで欠かせないのは、カタルーニャが生んだ偉大な建築家『アントニ・ガウディ』の作品です。独自のスタイルを確立したガウディ建築の魅力は、世界遺産とされた今日、ガウディの死後80年近くたっても、色あせることなく、バルセロナの街中、至る所で、訪れる人々を魅了し続けています。
【ガウディーとは・・・】
アントニ・ガウディ・イ・コルネットは、1852年、カタルーニャ地方のレウスという町に、金物細工師を父とする家に生まれました。バルセロナの建築学校を苦学して卒業したガウディが、初めて世間に認められたのは、1878年のパリ万博に出品したショーケースのデザインでした。これを目に留めた実業家のエウセビ・グエルは、グエル邸やグエル公園などの建築を彼に依頼し、スポンサー役となりました。
19世紀末のバルセロナは強い経済力を背景に、カタルーニャ独自の文化を創ろうという運動が起こっていました。これが、世紀末芸術としてフランスの“アールヌーヴォー”と並ぶ、モデルニスモ(近代主義)という様式となりました。独創的な建築スタイルを確立したガウディは、このモデルニスモを代表する建築家です。
そして、晩年のガウディは、サグラダ・ファミリア聖堂の建設に専念し、質素な生活を送りました。1926年6月7日に市電にはねられた時は、貧しさであまりの見窄らしさで、高名な建築家ガウディであることを誰も気づかなかったくらいです。その3日後、10日に、ガウディは息をひきとりました。葬儀は、ガウディの才能を愛した市民が多数参列し行われました。
世界遺産『カサ・ミラ』
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世界遺産『カサ・バトリョ』
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